京都の玄関口といえば京都駅ですよね。
そんな京都駅、みなさんご存知だと思いますが、大阪方面へ伸びる阪急や京阪といった私鉄は京都駅に乗り入れていません。
京都駅に乗り入れた方がめっちゃ便利じゃんって思いますよね?
よく利用する人の中には、京都駅の地下なんて烏丸線しかないからスペースありそうだけどな…と思った方も多いはずです。
実はこれ、後で紹介しますが歴とした理由があるんですね。
そこで今回は、関西の大手私鉄阪急と京阪が京都駅に乗りいれていない理由をわかりやすく解説していきます。
それでは早速いきましょう!
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京都駅の成り立ち
ではまずは、そもそも京都駅がどんな歴史を持つ場所なのかをご紹介していきます。
京都駅が開業したのは今から約150年前の1877年、このタイミングで大阪と京都を結ぶ東海道線が開業しました。
年号でいえば明治10年です。
鉄道自体は明治5年の新橋〜横浜間が最初ですが、5年後には大阪〜京都にも線路が出来上がっていました。
明治時代にはすでに京都駅は存在してたのは驚きでよすよね。
しかも1877年といえばちょうど西郷隆盛でおなじみの西南戦争が起こった年でもあります。
もちろん鉄道が全国にほとんど無かった時代で、国官営鉄道という、今のJRの前身がつくった駅でした。
鉄道ファンからすると知ってるよって話なんですが、JRって元々国鉄や官営鉄道っていって、国が運営していたんです。
要は運転士さんも車掌さんも公務員でした。
ですが1987年4月に国鉄民営化といって、鉄道はJRっていう一企業が運営することになったんです。
民営化されてなかったら絶対JREポイントとかWESTERポイントなんてできてないですからね。
話を戻しまして。
当時の京都駅は、東海道線の重要な拠点として計画され、広大な敷地と大きな駅舎を持ち、いきなり“関西のターミナル”としてスタートしています。
1970年代には、京都駅は大規模な改築をして現在のJR京都駅の基礎が作られました。
この時期に運賃高すぎ!でおなじみの地下鉄烏丸線の整備も始まって、京都駅は地下鉄とJRの接続拠点としての役割も兼ねるようになります。
地下鉄烏丸線は京都の南北を結ぶ主要路線として、京都駅を起点に重要な役割を果たしています。
そして阪急が今の京都河原町駅まで乗り入れたのが1963年、京阪が出町柳〜七条を開業したのが1915年と京都駅誕生よりもだいぶ後です。
じゃあここからは阪急と京阪、それぞれにフォーカスして京都駅に乗り入れなかった理由を話していきます。
阪急が京都駅に乗り入れなかった理由
実は京都駅に来るよりも、阪急は“河原町”を終点にする方を選んでいました。その背景として、京都の街の構造が大きく関係していました。
明治〜昭和初期まで京都の中心といえば四条河原町や三条周辺でした。
今も地元の人や観光客で賑わうエリアです。
ちなみに河原町駅近くにある京都VALのスタバはなかなか奇抜なデザインのお店なので観光ついでに行ってみてください。
一方で京都駅周辺は今でこそ活気がありますが、昔は市街地の端っこのような立ち位置で、そこまで栄えてはいませんでした。
鉄道会社にとって重要なのは乗客が多い繁華街にアクセスできるかどうかです。
つまり、「京都に鉄道を通す=四条や河原町を目指す」という方が当時自然な選択だったんです。
じゃあここで、阪急京都線の歴史を簡単に整理します。
実は阪急京都線は、元々阪急の路線ではありませんでした。
もともとは京阪電鉄の子会社新京阪鉄道が建設した「新京阪線」 だったんです。まさかの京阪。
当時の京阪は既存の京阪本線とは別に、大阪と京都を高速で結ぶ新しい路線を計画していて、そのために造られたのが現在の阪急京都線ルートでした。
新京阪線は1928年に天神橋〜西院間を開業し、1930年に京阪電気鉄道に吸収合併されました。

僕は関東の人間なので、どうしても新京阪が新京成に見えてしまいます。
終点は最初から四条・河原町方面がターゲットで、そもそも「京都駅を経由する」という発想がなかったんです。
余談ですがこの新京阪線、実は名古屋急行電鉄として名古屋までの路線延長が計画されていたんです。
実現したら近鉄並みの長距離路線になりますね。
ただこれは昭和恐慌の影響でなくなっています。
ここで疑問になってくるのは、なぜ途中で阪急の路線になったのか?ですよね。
これは戦時中の「陸上交通事業調整法」という法律で京阪と阪急は合併させられたからです。
この法律は簡単に言うと、
・都市の交通機関をまとめて効率化する
・企業を国が管理しやすくするために統合する
という国家主導のものだったんですね。
つまり京阪電気鉄道と阪神急行電鉄が合体して京阪神急行電鉄になりました。読んでて一瞬混乱します。
そして戦後、京阪と阪急は再び独立する方針になります。
今後どうしていきましょうかっていって会議をしたわけです。
そこで上がったのが、新京阪線をどうするか問題です。
当時の新京阪線は、
・阪急の本拠地梅田に直結している
・京阪本線とは完全に別方向に伸びている
・京阪本線の三条側とは直接繋がらない
などの事情から、京阪に戻すより阪急に残したほうがいんじゃない?という判断になりました。
その結果、新京阪線は阪急側に残り、現在の阪急京都本線になったという流れです。
実際乗るとわかるんですが、高速で走れるように線路がとにかくまっすぐなんですよ。
特急で河原町行く時なんか速すぎてビビります。
新快速に負けないくらいかっ飛ばすので面白いです。
京阪が京都駅に乗り入れなかった理由
では次は京阪の目線で解説していきます。
京阪が京都駅に乗り入れなかった理由はさっきの阪急(といっても元々京阪なんですけど)と同じで、京都駅が長い間「京都の中心」ではなかったためです。
京阪の利用者の多くは、“京都の繁華街” と “大阪方面” を行き来する層だったため、「三条や祇園に近いルートこそ本命」という判断で路線が作られました。
実際みなさんも京都観光っていったら、祇園とか三条とか河原町とかあの辺行くじゃないですか?
ここに電車通したのは抜群に良い判断だなと思いました。
あと僕だけかもしれませんが、京都の電車って行ったら京阪電車がイメージが強いですね。
例えば乗り換え案内のとき、宇治線→→→のことを宇治線↑↓→って言ったりしてて、これ聞くと京都だなあって感じがします。
その結果、京阪本線は京都駅を経由しない鴨川東岸を通るルートとして誕生しています。
そんな京阪の京都側ターミナルは、長い間「三条」でした。
1915年に今の清水五条から三条の区間ができて、出町柳ができたのはもっと後の1989年です。結構最近ですよね。
ちなみに三条より南は京阪本線って名前があるんですが、三条〜出町柳までのたった3駅だけ鴨川の東と書いて鴨東線(おうとうせん)という名前がついています。
そんな京阪は昔から京都の交通の要を担っていて、京都駅へ行くという発想自体がほぼありませんでした。
さらに、京阪のルートって鴨川沿い、市街地の細い路地、神社仏閣が密集した地域を避けて建設しなければならず、必然的に「鴨川沿いのルート」が最適解となりました。
そもそも京都駅とは方向そのものがズレていたため、物理的にも京都駅へ向かうことが難しかったと言えます。
京都駅の地下が満席の理由
でも実際京都駅まで阪急や京阪が来たら便利じゃーんって思う人もいると思います。
わかります。地下鉄一本しか通ってないんだからやろうと思えばトンネル掘れるんじゃないの?って考えたこともあります。
でもそれは難しいんです。
その理由はとてもシンプルで、京都駅の地下は見た目以上に“パンパン”だからです。
京都駅の地下には、まず現在も使われている地下鉄烏丸線があります。ですが地下にあるのはそれだけではありません。
京都駅のホーム群を支える巨大な基礎部分が地下深くに埋まっていたり、東海道新幹線のホームや線路を支えるための柱が何本も地中に突き刺さっています。
加えて、近鉄京都駅の構造物や、駅の地下街、そして京都ならではの遺跡が埋まっている可能性などの理由から新しいトンネルを通す隙間がほとんど残っていません。
そして例えトンネルを京都駅まで掘れたとしても、採算性がないという理由で現在まで来ています。
地図では地下鉄烏丸線だけが通っているように見えますが、京都駅を断面で見ると結構詰まってて、後から地下を掘り進めるのは難しいそうです。
なので京都駅から阪急や京阪の駅に行くならバス移動かLUUP移動が必須です。ちなみに歩くとまあまあ遠いです。
近鉄の話
そういえば近鉄って私鉄じゃん。なんで京都駅まで来れてんの?って思った人多いと思います。
近鉄も超がつくほどの大手私鉄ですが、近鉄だけは京都駅に乗り入れています。
なんなら新幹線の改札のすぐ目の前にあります。
ここからはなぜ近鉄が京都駅まで伸ばせたのか解説していきます。
現在の近鉄京都線の京都から近鉄丹波橋駅あたりは元々今のJR奈良線が走る線路だったそうなんですが、線路を通す場所を変えるということでこの区間が不要になりました。
そこで当時の奈良電気鉄道が通称・奈良電がすかさず買って、現在の近鉄京都線のルートがほぼ出来上がります。
奈良と京都を最短距離で結ぶことを目的に作られ、当時の奈良電にとって、京都駅は“絶対に押さえたいターミナル”でした。
観光客の流れを京都駅から取り込むため、京都駅乗り入れは最初から戦略の中心だったんです。
京都駅に入れた最大の理由は、元々あった線路を使ったからなんです。
奈良電はこの旧線の敷地を借りることで、極めて少ないコストで乗り入れが可能になりました。
すでにある線路敷をそのまま使える
これが競合する私鉄には無かった、非常に大きなアドバンテージでした。
イメージとしては居抜き物件で店やるみたいな感じですね。さっきの阪急が新京成の線路もらうのと同じ感じです。
つまり、「必要性があった奈良電」と「用地があった旧奈良線の線路」。この2つが重なったからこそ京都駅に乗り入れできたわけです。
そんな奈良電は1963年に近鉄と合併し、現在の近鉄京都線となります。
京都駅乗り入れも引き継がれ、今では観光客・通勤客の両方を運ぶ重要路線になりました。
国鉄の旧線を活用したことで生まれた“京都駅直結”という強みは、その後の近鉄にとって大きな武器となります。
ちなみに現在の地下鉄烏丸線と近鉄京都線は直通運転を行なっていて、国際会館から竹田駅経由で近鉄奈良まで結んでいます。
ただ地下鉄は運賃高いので、京都から奈良へ行く乗るなら近鉄一本で行った方がいいです。
【おまけ】京都の住所の話
本題とはちょっと逸れるんですが、みなさん京都へ行った時になんか住所長ったらしいなって思ったことありませんか?
例えば前に泊まったホテルの住所が
京都府京都市中京区堺町通押小路下る扇屋町661
でした。は?って感じですよね。
最初見た時、スマホ文字化けしたんかなと思いました。
多分同じようなこと思って人多いと思います。
なので今回は京都で見られる、この呪文のような長い住所について調べてきました!
これを見れば、なんでこんなに長いのか知識がつきますよ!
ではまず、この長い住所の解説からいきましょう。
わかりやすくするために区切って説明しますね。
京都府/京都市/中京区/堺町通/押小路/下る/扇屋町661
中京区まではわかると思います。
問題は堺町通から先。これは実在する通りの名前で、通り名と言われています!
堺町通りも押小路通りも、車が走るちゃんとした通りです。
通常は出入り口に面した通りが先に来て、その後にクロスする通りの名前が入るそう。
そして上るは北、下るは南、西入るは西、東入るは東と、方角を表しています!
なので今回のホテルの場合は、中京区の堺町通りに面した、押小路通りの南の扇屋町661番地にある場所という意味になります。
めちゃくちゃ長い…笑
じゃあなんでこんなに住所が長いのか?
結論を言ってしまうと、同じ区内に同じ町名がいくつもあるからです!
例えば先ほどのホテルがある中京区。中京区内だけでも、亀屋町が5つ、大文字町が4つ、鍛冶屋町が3つもあります。他にも色々あります。
例えば何かデリバリーしたとします。
京都市中京区亀屋町だけだと、シンプルに配達員さんは迷います。どこの亀屋町やねん?となるわけです。
下手するとポテトは届きません。だから通り名が必要なんですよ。
ちなみに京都で1番長い…というか日本一長い住所は、「京都府京都市東山区三条通南二筋目白川筋西入ル二丁目北木之元町」だそうです。
自分がここに住んでたら、住所書く時に発狂すると思います。
今回ご紹介した京都の長い住所ですが、これは京都市のお話です。京都府が全てこんな長い住所というわけではないのでご安心ください!
まとめ
はい、といった感じで今回は阪急と京阪が京都駅に乗り入れていない理由をお届けしてきました。
アプローチが違うだけでこんなにも変わるんだなということが学べて、面白かったです。
最後の方にご紹介した京都の住所の話は京都へ旅行行った時とか注目してみてください。
皆さんの旅のプラスになるような情報をお伝えできるよう、日々ブログやYouTubeを制作しています。
noteでは旅や鉄道、YouTube運営に絡んだ文章を販売しています。
気になる方はぜひ覗いてみてください。
それでは今回も最後までご覧いただきありがとうございました!








