東海道新幹線って、名古屋から京都に向かうとき……
なんでこんなに北へ大きくカーブしてるんだろう?って気になったことありませんか?
本来なら、名古屋から京都って“ほぼ直線”で結べるはずですよね。
でも実際の新幹線のルートは、岐阜県のほうまでぐーっと大回りしています。
これじつは“ただの遠回り”じゃないんです。
ある大きな理由が隠れていました。
もし直線で作っていたら、新幹線はまったく違う姿になっていたかもしれません。
今回は、東海道新幹線の紹介も踏まえて、誰もが一度は疑問に思う名古屋〜京都の不思議な大回りルートの謎をわかりやすく解説していきます!
それではいきましょう!
東海道新幹線ができた理由
まず大回りルートの話の前に東海道新幹線について簡単に紹介します。
東海道新幹線は1964年に開業した路線で、前回の動画でご紹介した東京モノレールと同い年です。
東京モノレールはオリンピックに向けて急ピッチで作られたという解説をしましたが、東海道新幹線もとにかく急いで作らなければなりませんでした。
その理由は、大きく2つあります。
ではまず1つ目。
東海道本線がパンク寸前だったからです。
1950年代後半、東京〜大阪を結ぶ東海道本線は、人口の増加もあって完全にパンク寸前でした。
加えて当時は長距離移動といえば、特急や夜行列車が主流だったんです。
東京と大阪を結ぶ特急第一こだまや広島までを結ぶ第一つばめ、今の鹿児島中央にあたる西鹿児島まで結んでいた特急はやぶさなどとにかく長距離列車が多い時代でした。
さらに旅客列車に加えて、物流を支える貨物も走っていたのでこれ以上列車を増やせない限界状態でした。
あれ?このままじゃ東海道線パンクするやんけ。ということがあり、新幹線が計画されました。
2つ目は、1964年の東京オリンピックに間に合わせる必要があったから。
東京モノレールと同じですね。
東海道新幹線は日本の技術力を世界に見せる“国の顔”として期待されていたんです。
実際工事は間に合って、開業したのは10月1日。
なんと、東京五輪のわずか9日前でした。
そんな背景がある東海道新幹線、名古屋と京都を“まっすぐ結ぶルート”がなぜ採用されなかったのか。
ここには、巨大な壁が立ちはだかっていました。
名古屋と京都の間には、鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)という標高1,000m級の山々が連なっています。
結論この鈴鹿山脈を貫通できなかったからというのが大きな理由です。
もし直線で新幹線を通そうとすると、この鈴鹿山脈を正面突破しなければいけません。
現在の技術ならトンネルを掘って直線ルートを通すこともできるそうですが、
1960年代当時は、
・高速鉄道用の長いトンネルを掘る技術
・安全性
・建設コスト
すべてが、現実的ではありませんでした。
そして東海道新幹線は、なるべく短期間で、確実に完成させることが求められていたこともあって、難工事が必須になる山越えルート”は、計画段階の時点でほぼ除外されていたんです。
前回の東京モノレールと一緒ですね。
モノレールのことといい調べてて思ったんですが、この時代とにかく時間がないという感じだったみたいです。
この東海道新幹線の開通も含めた1955年頃から1973年頃までの約20年間に、日本が年平均10%前後の高い経済成長を遂げた時代を高度経済成長期と言います。
日本史で耳にしたことがある人も多いと思います。
検討された3つのルート
そんな名古屋〜京都を結ぶルートですが、1本に決まっていたわけではなく、いくつかの案が検討されました。
当時の計画段階を簡単に整理するとこんな感じです。
①直線ルート案(四日市〜草津経由)
これがさっきの鈴鹿山脈で断念したルートです。
名古屋〜京都をほぼ直線で結ぶ最短ルートで鈴鹿山脈をトンネルで突っ切る形です。
メリットとしてはもちろん距離が最短で所要時間が短くなります。
一方でデメリットがトンネル工事が長大・コストが高い。
あとトンネルにかかる鈴鹿山脈からの圧力に耐えられないという理由もあって、工期が大幅に延びる、そして技術的リスクが大きいといった理由がありました。
②北回り・米原ルート案(採用ルート)
名古屋から大垣・米原経由で京都へいくで鈴鹿山脈を避ける安全なルートです。
メリットは工期短縮 • 技術的リスクが低いこと、東海道本線や既存都市との接続が良い反面、デメリットは距離が長く、所要時間は直線ルートよりやや長いです。
③南回り案(伊勢湾沿い)
これは名古屋〜四日市〜滋賀方面を経由するルートです。
イメージとしては今の関西本線や草津線が通るルートで、元々の東海道もここを通っていました。
メリットは沿岸地域に新幹線を通せることで、デメリットは距離が長すぎる、湾岸地形で天候などの安定性の懸念、交通量の少ない地域が多く採算性に不安といったものがあります。
加えて当時の国鉄には『新幹線は既存の在来線の近くを通す』という方針がありました。
理由としては新幹線を既存の東海道本線沿いに通すことで、旅客や貨物の乗り換え、運行管理がスムーズになるネットワークの構築ですね。
例えば米原駅。
ここは東海道本線と北陸本線の重要な接続駅です。
新幹線もここに接続することで、
既存都市へのアクセスを確保しつつ、地域発展にも貢献できるんですよね。
さらに、新幹線を既存都市に近づけることで、岐阜、大垣、彦根など、沿線の都市への経済的効果も期待できました。
直線ルートでは通らない地域ですが、北回りルートならカバーできるわけです。
結果として鈴鹿山脈を避けられる北側のルート、つまり米原経由のルートが実現しました。
ある意味、必然的ですね。
あと調べていて出てきたのが、政治的な配慮。
直線ルートだと滋賀県の主要地域を通らず、地元からの反発が予想されたことも理由の一つと言われてます。いわゆる忖度ってやつですね。
リニアは最短ルートへ
そして最短ルートといえば、リニア中央新幹線ですね。
2027年に東京〜名古屋間が開業する予定でしたが、建設費用や自治体との調整に遅れがあって2034年以降の開業になるそうです。
開業すれば品川〜名古屋間は40分、品川〜大阪間は67分で結ばれるようになります。
そんなリニアですが、名古屋〜大阪のルートはさっきご紹介した南の三重県側ルートを通っていく案が有力だそうです。
本当に最短を目指しているのが伝わりますね。
そもそも東海道新幹線は、誕生当初から高速で走れる東海道本線” という位置づけでした。
だから既存の都市(熱海・静岡・浜松・名古屋など)をしっかり経由し、乗り換え・貨物・ネットワークとの接続が最優先し、地形を大きく回避してでも都市に寄せるという考えが徹底されています。
つまり、新幹線と在来線は 「別物」ではなく「セット」 なんです。
一方のリニアは“完全独立の超高速路線”で、最初から在来線との接続をあまり重視しない、最短距離で東京―名古屋―大阪をぶち抜き、目的は「超高速移動」のみという全く別ジャンルの鉄道として計画されています。
途中駅も少なく、都市圏へのルート寄せもほぼしません。
まさに 「日本列島にもう一本、新しい大動脈を作る」 という考えです。
だからルート選びも全然違う形になっています。
面白いのは、リニアが開業すると
東海道新幹線は“2番手”の存在になると言われている点。
でもこれは悪い意味ではなく、東海道新幹線は沿線都市の足、ビジネス輸送の主役で、リニアは大都市間の高速移動の主役という役割分担が完成するということです。
それにしても品川〜名古屋40分は衝撃的な速さです。東京にいる友達にこれから名古屋で飲むけど来る?みたいな誘いも余裕でできてしまいます。
一回それやってみたいですね。
東海道新幹線の愛称の話
じゃあここからはまた東海道新幹線の話に戻ります。
東海道新幹線って、のぞみ、ひかり、こだまの3つの新幹線が走ってますよね。
のぞみが1番早く、こだまは各駅停車、ひかりは列車に停車駅が変わる中間型の新幹線です。
実は1964年の開業当初、ひかりとこだまのみでした。
由来としてはこだま=やまびこを表していて、1日で行って帰ってくることができるというコンセプトから決定されたと言われています。
そしてひかりは名前の通りライトの光です。
光速を意味していて、列車の速さを表すのにちょうどいいということで決定されたと言われています。
そこから約30年後、1992年にのぞみが誕生します。
もともときぼうという名前が有力だったんですが、日本の大和言葉を使ったのぞみという名前が結果的に採用されたんです。
この大和言葉(やまとことば)というのは、日本で古くから使われてきた“日本固有”の言葉 のことを指します。
日本人が古代から話してきた日本語の“素の言葉”で、
音や響きが柔らかく、情緒がある
ひらがなで書くと意味が伝わりやすい
といった特徴があります。
こころとか、まほろばとか、さくらといった言葉も大和言葉です。なんなら特急で走ってますね。
リニアも愛称決めると思うんですが、どうなるんですかね?
彼方(かなた)とかだったらカッコいいですよね。
まとめ
ということで今回は東海道新幹線の不思議な迂回ルートをご紹介してきました。
ちゃんと理由があってぐるっと遠回りになっていることがわかったかなと思います。
今度東海道新幹線に乗る時は、ぜひ名古屋〜京都のルートに注目してみてください。
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それでは今回も最後までご覧いただきありがとうございました!





