東京駅から京葉線を利用する時、なんでこんなに遠いんだと思ったことありませんか?
ディズニーの洗練かなにかかと思った方もいると思います。
山手線のホームから歩くと、普通に10分近くかかるので、東京駅の端っこどころか、もはや別の駅なんじゃないかとツッコミたくなる距離ですよね。
もちろんわざとじゃなくて、ちゃんとワケあってあんな設計になっています。
そこで今回は東京駅の謎の一つ、京葉線はなんであんなに東京駅から離れているのか?について調べてきたので、お話していきたいと思います。
それでは早速行きましょう。
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京葉線が東京駅の端っこにある理由
まず結論からいいますね。
京葉線の東京駅ホームは、かつて計画されていた新幹線のための空き地を転用したからです。
東京駅の京葉線ホームは、山手線や中央線などほとんどの列車が乗り入れるホームから大きくかけ離れた場所に作られています。
直線距離だと400メートルくらいですが、歩けば距離にして大体600メートルで、都内だったら一駅分の長さです。
ちなみに京急の青物横丁〜鮫洲の間より長いです。
そんな京葉線のホームがあるあのスペースは、本来は京葉線のための敷地ではなく、JRの前身である国鉄が成田へ向かう新幹線、通称成田新幹線を通すために掘っていた専用地下空間でした。
「え? 成田に新幹線? 聞いたことないんですけど?」と思った方、正しいです。
だって一度も走っていませんから。
でも実は1970年代、国は本気で「成田空港へ新幹線をぶち込むぞ」という計画を立てていました。
1969年に成田新幹線の計画が公的に決まり、1972年には建設の許可がおり、1974年には実際に工事が始まってたんですね。
じゃあどんな計画だったのか?
成田空港と東京駅をわずか30分で結ぶ新幹線をつくるというビッグコンセプトを掲げていました。
そのために、東京駅の地下に専用の新幹線ホームを作る計画が進みます。まさか後で京葉線が使うなんて、この時点では誰も思っていません。
ルートはこんな感じ↓
・東京駅の地下からスタート
・江東区を抜けて成田方面へ直進
・途中、千葉ニュータウンも経由
・そして成田空港の地下へ向かう感じです
途中からは京成スカイライナーが走るルートとほぼ同じところを走る予定でした。
スカイライナーは上野や日暮里まで行かないといけないので、この構想なかなか便利な感じしますよね?
じゃあなんでこの壮大な計画が消えたのか。
理由はシンプルで、空港建設への反対運動と地元の用地買収が進まなかったからです。
そもそも乗り入れ先の成田空港自体が1970年代当時、そんなとこ空港作んなって言って反対運動が起こっていました。
もちろん成田新幹線も例外じゃなくて、今の東西線沿線を中心に建設予定地の住民から猛バッシングされ、工事がほとんどできなかったそうです。
訴訟起こした人もいたらしく、マジで歓迎されてなかったことがわかりますね。
あと当時の新幹線は1964年にできたばかりということもあって、1970〜80年代は「新幹線=公害・騒音」「環境や住環境を壊す可能性」があるといった警戒心が結構あったらしくて、そういったことも要因の一つと言われています。
最近だとTwitterとかインスタとかが日本に来た時も、結構反感あったじゃないですか?
新しいものができたら抵抗するっていうのは、昔も今も一緒なんだなって思いました。
そして最終的に1987年の国鉄からJRになったタイミングで、成田新幹線計画は正式に断念されました。
でもアレは残りました。
それが東京駅の地下深くにぽっかり空いた巨大なホームです。
京葉線の誕生
ちょっと時間を遡って、成田新幹線がほぼ詰みの状態にいた1980年代前半、ちょうど同じ頃…東京湾周辺である問題がおきていました。
それが千葉県の湾岸エリアの人口の急増です。
今の海浜幕張とかあの辺ですね。
「工業地帯にも鉄道を通さないとヤバい」ということで登場したのが、“京葉線”という全く別の新路線の計画です。
当初、京葉線は東京駅に入る予定はなくて、新木場や舞浜、千葉方面の輸送強化が目的でした。
そこで国鉄の人たちは
使わないのもったいないから京葉線入れちゃおっか?という流れで、東京駅に京葉線を通す計画を立てます。
1986年に京葉線が開業し、最初は西船橋〜蘇我の千葉県側の区間で走っていました。
2年後には新木場まで延伸し、ここで都内と千葉の基盤が出来上がったわけです。
そしてさらに2年後の1990年3月、ついに京葉線が東京駅まで延伸します。
ここで長い地下通路もデビューします。
当時の利用者もなんでこんな遠いの?って小首を傾げたと思います。
ちなみに成田空港へ向かう特急でおなじみの成田エクスプレスは、京葉線全線開通の1年後にデビューしました。
という感じで、東京駅の京葉線ホームが離れている理由をご紹介してきました。
鼻から京葉線のために作られた場所ではなかったんですね。成田新幹線の“居抜き物件”でした。
現在の東京駅もすでに周囲は地下鉄や他の線路がぎっしり詰まっていて、今後移設する計画などは現在のところありません。
というか無理ですね。ディズニーランドへ行くならあの長い通路は避けられそうにありません。
ちなみに京葉線の東京駅は有楽町駅の方がちょっと近くて、有楽町で駅員さんに京葉線の東京駅へ行きたいことを伝えれば案内書を発行してくれます。
それをもっていけば東京駅で乗り換える必要なく京葉線ホームへ行くことができます。
逆に京葉線から有楽町へ行くのもOKだそうです。
京葉線の面白い話
そんな歴史を持つ京葉線ですが、調べていくとなかなかぶっ飛んだストーリーのある路線でした。
なのでここからは京葉線にまつわる面白いエピソードを4つご紹介していきます。
① 普通電車が“勝浦まで走っていた”
これは割と最近まで走っていたので知ってる人も多いと思います。
2024年の3月まで東京から千葉県の外房、勝浦まで普通電車が走っていました。
京葉線のあの車両で、110キロ先の勝浦まで行けていたんです。
寝過ごしたら地獄ですね。
利用者の少なさもあり、現在はもう少し手前の上総一ノ宮行きの列車に変更されています。
②新木場から蘇我までノンストップ通勤快速
こちらも2024年の3月で廃止になったもので、1990年から34年使われていた種別です。
京葉線内だと、東京と八丁堀と新木場と蘇我しか止まらないというぶっ飛んだ行き先でした。
さっきの勝浦行きもこの通勤快速の種別で走っていて、遠方に住んでる人にはとても重宝されていました。
記憶に新しい人もいると思いますが、この通勤快速が各駅停車に変わるというニュースが出た時、京葉線ユーザーたちを中心に猛批判が起きたんですね。
そりゃあ今までほぼノンストップで移動できたのに急に各駅停車になりますってなったら、抵抗するのもわかります。
結果半年後の9月に2度目のダイヤ改正という異例の対応をし、快速が増便されたという出来事がありました。
調べてて思ったんですが、千葉県って鉄道関係でちょくちょく揉めてますね。
③京葉線最大の問題児E331系
画像引用 Wikipedia
でました。京葉線を語る上で100パー出るのがこのE331系です。
2007年にデビューした車両で、
・連結部分に台車がある
・1両は短いけど14両編成
・謎に3ドア
などチャレンジ精神満載の車両でしたが、台車やシステムのトラブルが続出していたんです。
復帰しては休んで、復帰しては休んでを繰り返していました。
気づけばJRのお荷物列車になっていたんです。
結果稼働期間はたったの約7年で廃止。
しかもこのうちお客さんを乗せて営業運転に入った期間は約15か月間でした。
実質1年しか走ってなかったんです。
鉄道の車両って大体20年くらい走るんですが、10年も経たず廃車という超短命っぷりは
鉄道ファンを中心に「京葉線の黒歴史」などといわれています。
東武の9000系とかを見習ってほしいですよね。
ちなみに30年以上走ってて未だ現役です。
E331系が走っていた当時僕は小学生だったんですけど、家族とディズニー行ったりとか沿線住民でもないのになにかと京葉線に乗る機会がなにかと多かったんですね。
それでこのE331系は結構な頻度で乗ってたんです。なのでそんな短期間の列車だったってのはびっくりしました。
④舞浜駅の由来
ディズニーランドに行く時に利用する駅といえば舞浜駅ですよね。
なんで東京ディズニーランド前とかいう名前じゃなくて、現地の舞浜っていう地名になったかわかりますか?
実はもともとはディズニーランド駅で進んでいたんです。
舞浜駅開設時の1988年、JR東日本や運営会社のオリエンタルランド、浦安市が会議をして駅名を「ディズニーランド駅」にする案が検討されていました。
オリエンタルランドもJR東日本もそれでいいんじゃないですか?っていって賛成だったんですね。
ただここで待ったをかけたのがアメリカのウォルト・ディズニー・カンパニーです。
理由は夢の国のイメージの維持だったそうです。
ディズニーのイメージを駅の看板などに直接結びつけすぎず、あくまで「ディズニーランドへ行くための駅」としての期待感を抱かせる駅にするべきということで舞浜になりました。
考えてみれば、駅ができれば大体周辺にはコンビニとか飲食店とかいろんな店が立ち並ぶじゃないですか?
そんな中パチンコとか居酒屋がディズニーランド駅前店ってつけたらめちゃくちゃイメージダウンですよね。
これはアメリカのディズニー社の英断だと思います。
なのでディズニーランドの最寄駅は現在も舞浜で通っています。
まとめ
ということで今回は、東京駅の京葉線はなぜあんなに離れているのかについてご紹介してきました。
結論成田新幹線の計画が頓挫して、余ったスペースを利用したからでした。
今回京葉線の歴史とか面白いエピソードを調べてきたんですが、なかなかぶっ飛んだ路線ですね。
他にもりんかい線との直通運転の構想があったり、京葉線のカラーはピンクなのに水色の電車が走っていたことがあったりもしました。
ここら辺についてはまた別の機会に取り上げてたいと思います。
それでは今回も最後までご覧いただきありがとうございました!





